dear my friend (この世に存在する意味)

今日はね、ちょっと悲しいんだ。

心友だったお友達が、旅立ってしまったの。

 

彼女は4年くらい闘病生活を送っていたから、余命宣告よりうんと

がんばってきたんだ。

でも、やっぱり旅立ってしまったよ。

 

きっとものすごく苦しかったと思う。

「お互い電車に乗れるくらい病気が回復したら、また真ん中らへんで

あって、ワインランチをしようね。だから一緒に頑張ろうね」って

約束してたのにな~。 お互い違う国に住んでいたから、なかなかあえなくってね。

 

あちらに旅立った方と話すのって、そんなに難しいことじゃないんだ。

肉体を持った私たちと違って、時間に縛られない。肉体に縛られない。

そしていろんな事柄に縛られていないから、チャンネルさえ合ってしまえば、普通に会話だってできる。

束縛がないから、話に裏もないから話しやすい。

 

闘病生活が長かった方は、あちらに行かれた後は意外とすっきり元気で明るいことが多い。

そうだよね。痛みや体の不自由から解放されるんだもの。

 

だからね、私は嬉しいんだよ。また、そんな元気な彼女とお話ができて。

 

でもね、やっぱり悲しいんだ。

一緒にワイン飲んでランチしたかったの。

一緒に同じもの見て笑いたかったの。

一緒に悩んだり、慰めあったり、ふざけて涙が出るほど笑いたかったの。

 

肉体を持ってこの世にいる意味。

それは分かち合いなのだろうな~。

同じ時間を共有すること。

触れ合うこと。

意見が対立してしまっても、歩み寄ろうとする努力。

一緒に笑うこと。一緒に涙すること。

 

それがこの世にいる意味なんだと思う。

 

だからね、

好きな人にはちゃんと好きと言おう。

意見がすれ違ってしまったら、ちゃんと話し合おう。

話しかける言葉が見つからなかったら、そっと触れてみよう。

明日があるやなんて思わず、見たい景色があるなら今すぐ行こう。

したいことがあるなら、自分にはできないと思わずやろう。

会いたい人がいるならば、会いに行こう。

そして、自分の気持ちを伝えよう。

 

天使が誰よりも大好きだったあなたへ。

今はたくさんの天使に囲まれていますように。

LOVE