だませる脳と、だませぬ心

皆様、こんにちは。

 

今日も3H-Happiness, Heal and Hopeのページを訪れてくださってありがとうございます。

 

今日は皆さんと何をシェアーしようかなーと考えるとワクワクが止まりません。

 

今日のテーマは、

「だませる脳と、だませぬ心」にしてみようかしら。

 

 

 

例えば、何か新しいことを始めたい時、

まるで自分の中に2,3人の人がいるかのような会話が始まることってありませんか?

 

私1「私、絶対これをしてみる!今年はこれを目標にするわ!!」

私2「え?何言っちゃってるの?そんなの無理に決まってるじゃない。だって、私そんなことしたことないし。」

私1「やったことないけど、でもやってみたいんだもん。すごく好きなんだもん。後悔する人生なんて送りたくないの。」

私2「やりたいって気持ちだけで、出来るわけないの。人生そんなに甘くないの。」

私1「でも、やってみないとわからないじゃない。」

私3「やってみて、出来なかったらどうするの?傷つくのは私だよ。周りに馬鹿にされたらどうするの?立ち直れなくなるのは私だよ。」

私2「そうだよ、そうだよ。そんなの嫌じゃない。始めなかったら傷つかない。良いじゃない、今のままで。絶対できるってわからないこと、する必要ないんだよ。」

私3「そうだよ。ここにいたら安全なんだよ。ワクワクがなくっても、怖いことないよ。今だってそうやって生きているんだから、別にそれでいいじゃない。」

私1「でも…。そっか、そうだよね。私なんかできるわけないよね。傷つきたくないしね。うん、そうだよね。」

 

なーんていう会話、皆さん一、二度は経験あるのではないでしょうか。

私はあります。

 

これはすごーく普通なことで、まぁ簡単に言ってしまうと、私たちがずっと昔のご先祖様たちから受け継いでいるDNAの中とでも言いますか、脳幹の中とでも言いますかに刻まれている記憶。

生きるか死ぬかで生きてきていた遠い記憶、その記憶たちが私たちを守ってくれる役割を果たしてくれている証し。

 

その刻まれた記憶のおかげで、私たちは誰かに教わるわけでもないのに危機的状況を遠ざける本能が身についていますよね。

「あ、この道は通らないほうがいいな」とか。

親から教わったわけでも、教科書に載っていたわけでもないのに、ピッピッとわかっちゃう的な。

 

そのありがたい本能的お目付け役が、時に自分のしたい事の妨げになる…。

一歩を踏み出すのに躊躇してしまう。

そして、どちらが自分の本心なのかわからなくなってくる。

 

そんな時は、

ときめき踊ることを考える私は、心の私。

心配性でストップをかけるのは、この地球に生命を受けてからずっと続く脳(記憶)の私。

心の私は、どんなにストップをかけられて一度は納得したはずでも、また必ず

「やっぱりやってみたい。」とどこかにくすぶっているもの。

心の私を止めることは誰にもできないみたいです。

 

では、どうするか。

心の私の言うことを無視し続けると、だんだんやる気がなくなったり、目標を見失ったり、もっと行ってしまうと自分の存在意義がわからなくなったり、鬱になってしまったり…。心をだまし続けることは私たちにとって相当なストレスなのです。

 

でも、脳の私も本当の私。

脳の一部は記憶の塊。それをゆっくり変えていくのです。

怖かった思いをした記憶は否定せず、それでも、それを塗り替えていく。

古くなった記憶が呼び覚まされた時、それを何度も繰り返し思い描くことをやめ、

新しいことをはじめ、喜んでいる自分を思い描く。

どんなに自分の心が躍っているかを何度も想像し、それを新たな記憶に書き換える。

 

スーパーコンピューターと言われる私たちの脳。

 

PCを使っていると、常にアップデートのお知らせが来るように、

私たち自身が持つ「ザ・スーパーコンピューター脳」もアップデートしていかれることおすすめいたします。

 

そして、時々脳幹(後頭部、首の付け根当たり)に手を当て、ゆっくりリラックスさせてあげることもお忘れなく。彼らがリラックスできると、怖れも不安も心配も、少し遠のいて行くからね。蒸しタオルなどを当てるなどもグッドアイディアです。

 

焦る必要はありません。

それでも今日、一つだけでも、どんなに小さなことでも、心の私を優先させてみましょうか!

私、つい最近一つ心の私の言うことを聞き始めたことがあるんです(笑)。

近いうちに、皆様とまたシェアーさせていただきますね。

 

 

 

ブログは毎週火曜日、金曜日と毎月1日にお届けします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も最後もまでお付き合いありがとうございました。