無条件に受け止められる心地よさ

皆さん、こんにちは。

 

今日も3H-Happiness, Heal and Hope のページを訪れてくださってありがとうございます。

 

今日は、久しぶりに入院中の話です。

年末入院していた私ですが、今回は4人部屋。

4人のうち3人が自己免疫の病気で、もう1人は違う病気でした。

 

リューマチ科に入院する時は、ほかの科と違い本当にいろんな病気があるのねぇと思います。よく原因がわからない病気になった人たちが集められたような感じ?

 

今回の自己免疫の病気にかかった3人も病名はみんな違うので、もちろん違う症状も出ているのですが、似た症状、しかもなかなかドクターを含め、ほかの方々に見えにくい部分が似ていました。

 

・一瞬にして容態が変わる。

今、元気に話していたかと思うと、次の瞬間パタッと脱力して動けなくなり、返事をする力も目を開ける力もなくなる。

しかし、しばらくするとまた元気に笑っている。

 

・舌の半分が常にしびれている。

 

・細かいことをするのに実はものすごく力を要する。

パーキンソン病のような明らかに見える震えはないものの、目に見えないくらいの小さなけいれんのような動きを腕や足に常に感じているので、それを抑え込みつつ、物をつかむとかしなくてはいけないので、通常の倍疲れる。

 

などなど、一言で言ってしまえば、

「疲れるのよ。」というようなこと。

疲れは誰でも感じるし、私も前にだって普通に疲れたってことあったし。

なんか、しびれるといっても、疲れてしゃべる気力も起こらないといっても

大体誰からも「それって私もありますよ」って言われることなのですよね。

確かにそうだろうなぁと思うのだけれど、うーん、それとはちょっと違うんだけれどなと思うのも正直な心の声。

でも、私も以前も普通に疲れるって言葉使っていたから、それとは全く違う疲れなのだけれど、言葉にすると同じだし…。説明するだけで疲れちゃうから、どーでもいいや。と説明することが億劫になってくる。

 

それに朝は何ともなかったのに、午後になったら立ち上がれないとか、自分の体なのに自分でも予想ができない。家で一人で何かをするくらいの体力は残っているけれど、出ていくほどの体力は残っていないとか、前なら平気でちょっとがんばればなんとかなったことが、どうにもならない。

 

そんなことを言い続けるのも嫌なので、なかなか予定を立てられず、ついつい初めから断ることが多くなる。

 

そんな私たちのあるある!が今回は

「そーなの。そうなのよ!」って分かり合えるこのうれしさ。

無条件にわかってもらえるうれしさを、久しぶりに感じあった入院でした。

 

リューマチ科はいろんな症状の人が入院しているので、

ご飯を食べている最中に、力尽き起き上がることができないという状況が続いたときは、以前同室の人に「それって、ヒステリーの症状じゃない?精神科にかかった方が良いわよ。」と言われたことも。

どんなに、フォークを持つだけで疲れてしまうんだと説明しても分かってもらえない。

 

なのに、今回は説明する必要もなく、分かってもらえる安心感。

 

人は、無条件に自分を受け入れられたとき、ものすごく安心するんだと再確認できたものすごく貴重な入院となりました。

 

ブログやセッションを通して、皆様の笑顔を取り戻してもらいたいと皆さんと

つながらせていただいている私ですが、

もし、あなたの周りのだれかがつらい思いをしていて、笑顔さえも忘れてしまっている方がいたら、応援する前に、ぜひその人をそのまま受け止めて差し上げてください。

きっと頑張ろうという力もない時は、自分という存在がとても薄くなっていると思います。

よくマンガや映画でお化けとかが半透明に描かれている感じ?

そんな状態だと思います。

だから、まずはそのままのその人を受け止め、受け入れる。

応援は、そのあとです。

 

もし、あなたが半透明の状態でも、私はあなたが大好きです。

 

 

前回から、試験的にコメント欄を作ってみたので、皆さんの体験談や、ご意見など書いてくださるとうれしいです。

 

皆さんの温かい言葉で、ほかの方々にもたくさんの勇気を分けてあげてくださいね。

 

ブログは毎週火曜日、金曜日と毎月1日にお届けします。

 

ブログが面白かったとか、ちょっとだけ心が軽くなったとか思っていただけたらすごくうれしいです。

もし、こんなことブログにしてほしいとかあったら、教えてくださいね。

 

今日も最後までお付き合いありがとうございました。