それぞれの親子事情 Part1.

親のするべきこととは何だろう…。

 

100人の親がいて、100人の子供がいたら

どんなに似ている考えであったとしても

100通りの親子関係があり、子育てがある。

もしかしたら、100通りでは済まないかもしれない。

 

まだ指圧の学校に行っているとき、たぶんそれはDiplom をとる最後の年だったと思う。

娘は小学校に上がる前くらいの年齢。

どういう状況だったか忘れたけれど、どうしても1時間プラスα早く帰らないと娘が一人になってしまう時間があった。

私はまだ気が気ではなくて、先生に早退したい旨を伝えた。

そうしたら、周りの生徒さんたち数人に

1時間くらいテレビでもみさせて一人にしておけばとか、誰かに預けたら?言われた。

でも先生だけが、「帰りなさい」と言ってくれた。

その先生が、周りの人に、「あなたは子供がその年齢で、1時間くらいと家においておけたかもしれない。

預けられる親がいたかもしれない。

でも親の性格も、子供の性格も、環境も違うの。家族構成だって違う。

だから大勢の人ができるからって、

それがその家庭に通用するとは限らないの。 

Nozomiに1時間くらい大丈夫よって言ったって、彼女の心は娘のところに行くから、授業だって集中できないでしょ。だったら、この1時間はここにいるより、娘のもとに帰る方が何倍も有意義なものよ。」と話していた。

 

その時、本当にその通りだと思った。

親が100人、子供が100人いたら、組み合わせで100通り以上の家庭の事情があるのだと。

 

なので、私は友達との会話では家族、特に子供についての悩み事には

「のぞみちゃんはどう思う?」とか「のぞみちゃんならどうする?」と

聞かれない限りは、自分の意見は言わないようにしている。

 

もちろん、リーディングは別の話です。

これは私の意見ではないし、私の考えは別のところにあるけれど、という事もよくあります。

リーディングでは「うわー、これを実行するのは大変だろうな」という事も確かにあります。

でも、そこまでしないと変われないんだよねという感じだったりするんですよね。

親子って近いから、こじれると他人よりも大変だったりするのかもしれない。

なんて言っても冷戦期間がなかなか取れなかったりしますものね。

 

なんでそんなことを書いているかというと、

先日、トレーニングの後、更衣室で帰りの準備をしていたら、突然知らない方に話しかけられた。

 

知らない女性(以後女性と書く):バンコクから来たの? 

私:違う、日本。

女性:へー、私中国のご飯大好き。寿司とか最高よね。自分でも作ったりするの、私。

でも私まだ中国行ったことないのよ。だけど、中国のご飯は世界一よね。寿司は本当においしい。

 

と、まあ、突っ込みどころはいろいろあるが、

最近はその間違えも減ってきたとはいえ、そのあるあるの会話の後

 

愚痴る愚痴る。娘と息子のことを。

えっとー私たち、どこかで知り合いでしたっけ?と

全く知らない方の家庭内事情の怒りまじりの告白を拝聴したのでありました。

 

と、突然ですが、続きは明日!