直感を磨く 返答

私、歯医者はドイツに行っているのですが、

昨日は やたらにコスチュームを着ている人を見かけました。 

ベビーカーを押している女性でさえ、猫耳つけて歩いているし。

老若男女 いろいろな格好をしていました。

初めは何?って思っていたけれど、

fasnacht が始まったのですね。

スイスでは、そんな格好して普通に歩いている人は見かけないけれど、

買い物に行く、レストランに行く、7,8割がたの方々が思い思いの格好をされている そんなドイツでした。

 

って書き始めたけれど、もう過ぎてるやん!ってなっていますね(汗)。

すぐアップしないで書き溜めているとこう言うことが起こる…。反省です。

 

改めて、本題に入ります。

 

みなさん、以前のブログ 「直感を磨く」のコメント欄読まれたでしょうか?

まだの方は是非読まれてみてください。

そしてコメントありがとうございました。

 

直感を磨く - three-h Happiness, Heal and Hope (jimdofree.com)

 

絶対、一度や二度は皆さん経験があるこのシチュエーション。

 

さて、皆さん、こんな状況どうされますか?どう思われますか?

 

まず、単純に書いてしまうと

イベントAが初めの約束。

だけど後からイベントBが来てしまって心が揺れるという事は、

ほぼほぼイベントBのほうに心が揺れているのだと思います。

それがどのような理由にせよ。

 

イベントAのほうに行きたくて、イベントAを先に予定を入れていたのならば、

まずまずイベントBに悩むことはないように思います。

 

「Nozomiさーん、そんなの単純なことではないですよー」と思いますよね。

うん、うん、そんなに単純ではないですよね。

それが自分のことだったらなおさらです。

私だって、この状況、自分のことだったら悩む!

 

だけど、この事柄になーんにも関係ない第3者からみたら、ものすごく単純なこと。

 

これって、いろいろなことにおいて、かかわっている本人には複雑で、どこに向かっていいか

どう解決していいかわからないようなことでも、

全く関係ない第3者からみると そんなに難しいことではないよ?ってこと多かったりしませんか?

 

それと、もし普段から直感をフル活用していたら、

なかなかこのような状況になりにくくなってきます。

 

イベントAの予定を立てる時、

イベントBについてはまだわからなのだけれど、

なぜか、イベントAについて提案が出ている日程ですっきりしないとか

予定が進まないとか

どうしてか、この日は入れてはいけないような気がするとか

何かしら気分が乗らなかったり、その日の日程がうまく組めなかったりしてきます。

 

これと直感とどうつながっているの?と思われるかもしれませんが、

あとになって、「なるほど、こういう事だったんだ」という事が多くなってきて、

それがいつか自然なことになってきて、事前にその直感が働くようになってきます。

 

余談ですが、私は直感が鈍ってきたなという時には

クレンジングに行きます。

私は水のそばのほうが直感力がさえるので、

できたら海に行きたいけれど、スイスは海がないので、

川に行きます。

 

そして、マッサージにもいきます。

 

直感力をつけるには、日々の行いも必要ですが、

クレンジングもおすすめですよ。

 

何も私と同じように、海や川である必要はありません。(おすすめではあります)

ご自分のクレンジングポイントを見つけてみてくださいね。

 

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コメント: 1
  • #1

    YJL (水曜日, 01 3月 2023 10:06)

    NOZOMIさん
    コメントに対してご返答いただけるなんて!ありがとうございました。
    まず、ドツボにハマってる本人はマジにわからないって困ってるけど第三者から見るとそんなに難しいことじゃないよ、そんなに悩むこと?結構はっきりしてるよ、っていうもんだ、ということに
    関心しました。
    自分が悩んだことなのに笑。
    それと直感をフル活用していたら、こういう状況にハマりにくくなるであろうことはわかっていて、だからこそ直感をピカピカに磨きたいところです。

    今回イベントAの日程を入れるとき、残念ながら直感で、あれ、なんかしっくりしないな、みたいなことは正直全く全然フィーリングは起こりませんでした汗

    さてあれから私は結局イベントBに行くことを決めました。大好きな仲間にはイベントAに行けなくなったことを伝えました。そこまでして行きたい!と思ったならそこに行くのが魂の望みなのだからキャンセルしてもそれに従おうとの行動でしたが、、
    イベントBはちょっと社交的な会と以前書きましたが12名くらいでレストランでカジュアルにイタリアンディナーでした。私の左隣には経済界では名のある方が座られててその方の左隣にこの会のメーンゲスト(外国人)が座られて。ここの面白いのが、たとえ経済界で名のあるビッグな方としてもこの場ではメーンが共通の趣味の事柄ですからその事柄でカジュアルに繋がっています。
    結果的に一番会いたかったメーンゲストの方に挨拶をすることもできずに
    ディナーとなり、ディナー終了後にやっと勇気を出して話かけご挨拶して以前にもお会いしたことなどなど少しお話ししてそれで帰宅しました。
    勇気を出す前はディナー中ふと友人たちとのイベントAを思い出し、私はこんなディナーをしてあまり共通の趣味の事柄以外では共通項の無い方々と居るために友人たちとのイベントAを犠牲にして友人たちに迷惑かけのだろうか、やはりこれはエゴだったのだろうか、本当に魂は楽しんでるの?と考えました。
    最後にメーンゲストに話しかけられたことは良かったけど、そのほんの数分間話しかけたということがそんなに魂が行きたい!と思ったことだったのだろうか、、と分からなくなりました。
    帰りはタクシーで帰宅しましたが、あ〜楽しかったな〜みたいな心の充足感があったかといえばよくわかりません。
    結局ただエゴがちょっと華やぐ社交の場に行きたいというのをチョイスしてしまったのかなとちょっと虚しさを感じたんです。
    それはもっともっと最初から勇気を出して挨拶して話しかけられなかった、そこに居合わせた面識のない方にも勇気を出して自ら挨拶などできずに終わったから(知ってる方には話しかけてますが)周りのほとんどが流暢に話す英語に引け目を感じて自分の英語力ではメーンゲストに話しかけづらいと、変な卑屈な体裁を考えたから楽しめるチャンスを自ら台無しにしてしまったのだろうなと、
    そこにも自分にがっかりしたのかもしれません。

    直感を磨く、エゴでなく魂がやりたことを知るって難しいです。